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京都—南京・宜興 日中友好民間陶芸文化技芸交流

12月13日から16日、京都を拠点に活躍している5人の陶芸家とともに南京、宜興を訪問、宜興では急須づくりに携わる職人たちと交流しました。メンバーは市岡和憲さん、加藤泰一さん、清水志郎さん、中村譲司さん、そして山内駿さん。今回の日中友好民間陶芸文化技芸交流会は、南京牛首山仏教センターから始まりました。
牛首山は古代から仏教名山のひとつ、禅宗「牛頭禅」の祖庭で、南朝から唐代までのお寺が30以上もあります。南朝の梁代に仏教が盛んとなり、「南朝四百八十寺」の最も集中しているのが牛首山です。北の清涼山、西南の蛾眉山とともに「聖道の場」と言われるほど、唐代の最も有名な三大道場のひとつとなりました。その牛頭禪文化圏を再建する象徴として造られた南京牛首山仏教センターは、世界仏教文化の新遺産をつくり現代建築や工芸の技術で新しい景観を、と2015年に竣工しました。地下44mには仏頭頂舎利が奉納されていて、新しいアイディアに伝統工芸技法を組み入れ、エンターテイメント機能も備えたビッグな仏教施設に圧倒されました。


その仏教施設の内装設計と工事を担当した著名な仏師の徐暁鏞さんに案内していただいた後、仏陀の懐抱の中で、日本の陶芸家の作品を展示、宜興の職人たちと作品を通じた活発な交流が繰り広げられました。

 

 

 

 

 


翌日は、磁器の景徳鎮と並ぶ陶器の都、宜興を訪問しました。文人好みの宜興紫砂は茶器の代名詞となっており、宜興の茶壷、日本でいう急須は同じ型でも素材と焼き加減が違い、急須によって相性のいい中国茶が異なると言われます。まさに一つひとつが手づくりの急須です。
太湖の周りに蓄積された鉱山の石から作った陶土を、成型から、焼き、柄仕上げまでひとりで行う急須の製作は、世界でもここ宜興のみと言われている陶都で、紫砂急須のコレクターとして知られる劉友林さんが、私たちを出迎えてくださいました。


劉さんは、宜興紫砂を代表する“顔”、骨董を含めた作品の鑑定評価などを国から依頼されている方です。劉さんの自宅で著名な先人たちの急須を見て、触れて、そしてその急須を使ってお茶を愉しむという夢のような体験をさせていただきました。

劉さんは奥様の張さんも紫砂陶芸家で、自宅一角に設けられた劉さんの工房、まさに職住一体のスペースで急須づくりに取り組んでおられます。一品ものの紫砂急須が自宅にある工房から生まれるのです。
続いて、国家級陶芸マスター、江蘇省工芸美術学会会員の管唯皓さんと奥様の周菊芳さんの工房を訪問しました。ここでも中国茶を飲みながら、宜興の陶器談義です。

管さんは、「自分の作品は出来上がるとまずそれでお茶を飲む」と語り、今も数1000年のお茶をたしなむ習慣と密接にかかわっていることが、宜興の強みとうかがいしることができました。高級工芸美術師・研究員として活躍している奥様の周さんは「採取した鉱石を粉にして陶土にするのですが、同じ分子構造の陶土はどこにもない。」と、奥深い紫砂宜興の秘密を語ります。しかし、宜興の紫砂泥を採取できるのはあと100年位ということで、世界の茶器を代表する都市が抱える問題点も浮き彫りとなりました。


最後に一行は中国の人間国宝、紫砂急須作家、陳國良さんの工房を訪ねました。日本では江戸時代末期から宜興との交流が始まり、常滑などで生産が始まりますが、陳さんは、若い頃日本の常滑との交流や提携に尽力したということで、当時の様子を懐かしそうに語ってくださいました。その提携は今も続いているそうです。

宜興紫砂急須は、陶土をたたいて成型するたたらづくり製法をとっています。あの精緻な急須も全てこのたたらづくりでつくられ、一行もこの技法に挑戦しました。みんな緊張しながらも少年らしい表情で陶土をたたき急須の胴などをつくりました。

この後の懇談会では、「中国では日本お煎茶と違って、茶会の形式に決まりはない。料理と一緒で素材がよければ美味しいので、茶の美味しさを引き出すための急須がポイントとなる」「急須や茶杯などとの組み合わせもその時々で違う」「文人たちが陶工に依頼していろんな茶器が生まれるが、その当時から文人発想でも実用が第1、美は第2だった。用の大切さをまず心掛けている」と、宜興の職人魂の一端が述べられ、お茶文化の違いなどを改めて学びました。次代の京焼を担う作家たちは、「創作活動に向き合う力を得た」「創作するこころ、精神の大切さを学んだ」「海外展開に向けての展望が開けた」など、実り多い交流であったとの評価となりました。

次回は宜興から職人の皆さんを迎えるなどして、さらに工芸を通じた日中間の文化交流を深めていきたいと考えております。

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