若王子倶楽部 左右

Our Story

第5回前崎センセイと「茶時」を愉しむ

 前崎センセイを囲んでの茶時、今回は福沢諭吉の

 「帝室論」をとりあげました。

 文明開化の時代に日本固有の技芸をどう保存するか…。

 福沢は「政治革命のような小さな世の中の変化のために、

 日本固有の芸術が断絶することはあってはならない」と

 して、国会や政府に託すのではなく、政治の外にある

 帝室がその役割を果たし、芸術家に栄誉と給料を

 与えるよう求めた、というのです。新しいものを生み出す

 には歴史あるものが如何に重要か、を問いながら、

 あの明治維新を小さな政治革命と捉え、日本の文化・

 文明の存続を強く訴えたのです。この初版本が出たのは

 明治15年、今から135年ほど前ですが、日本の危機的な状況は変わっていません、と前崎センセイは語りかけます。

 

 そして、欧米にはない、中国とは異なる日本製品をどう売るか、国をあげての産業振興により絹織物や京焼、漆、

 緑茶等が西欧へ輸出されました。緑茶では、あの西郷隆盛が製茶産業の育成に取り組み、また勝海舟は静岡茶で

 知られる牧之原台地を整備したのです。京都では当時流行していた煎茶道具をつくるために五条坂界隈が京焼の

 産地として生まれました、と前崎センセイ。明治の偉人はプロデューサーでもあったのですね。

 開国日本が世界に目を向けて取組んだ様子が目に浮かんできます。

 

 そんなお話をしているといつものように一茶庵の佃梓央さんがお茶を煎れてくださいます。ワイガヤの雰囲気の中で

 いただきながら、明治時代の論壇風発、自由な煎茶の世界を愉しみます。

 そして、前崎センセイが差し出した中国でつくられた茶碗、これ何か分かりますか?。チキンカップと呼ばれる

 500年前の明の時代につくられた皇帝御用の杯、最初に時を告げることから人の上に立つ吉祥の鶏と言われ、

 世界に10数個しかない杯は30億円の価値があるそう…です。でもこれは中国でつくられたニセモノで、

 このニセモノを大量に作っていた工場で、購入したのだそうです。 

 

 一方この掛け軸は千円もしない、これは何故?と問いかけます。菊池素空という大正時代の日本画家ですが、

 名前を知られていないので、ホンモノでも正しい価値がつけられない。この二つを見比べながら、パトロネージュと

 海外の視点を盛り込んだプロモーションについての対話が遅くまで続きました。

 

↑