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自由さを満喫~第2回 前﨑センセイと夜咄茶時を愉しむ

働き方改革、生き方改革が叫ばれる中、忙しい仕事を忘れて自分を取り戻す時間をと、今回は、京都企業の40歳前後を中心に10名が集いました。美術工芸史家で京都女子大学准教授の前﨑信也センセイのお話、そしてお茶を提供してくださったのは、一茶庵の佃梓央さんです。




まず前崎センセイ、「日本で急須を使いだしたのは、いつからでしょう?」と問いかけます。あまりにも身近で当たり前に使ってきた急須、そのようなことを考えたこともありません。「日本では江戸時代中期。では、なぜこれまでの抹茶でなく、急須を使おうとしたのか?」
今と同じように時代の転換点であった当時、実力を持ってきた大坂や京都の豪商たちが、抹茶に代わって、急須で淹れた煎茶をたのしんだ、というのです。

 

そこで佃さん、お茶の用意をしながら「茶事」の概念を話してくださいました。
「茶事においては“話すこと”がメインで、“お茶”はサブ。提供されるお茶には様式も流儀もないので、参加者は話に集中してたのしめばよい。」と。

 

 

お茶をふるまう人(提供者)は、抹茶の際のような“亭主”ではなく“世話人”であり、みなに話題を提供し、話が盛り上がる間に、湯を沸かし、急須でお茶を淹れ、よいころあいで客にお茶を提供するのだそうです。茶葉の選択、茶葉の量、湯の温度、淹れ具合などは提供者に任されていて、今日のお茶がどんな味わいになるのかというところが、提供者にとっても客にとってもおもしろいところ、と続きます。
佃さん曰く「提供者はおいしいお茶を供しようとしてはだめ。味は二の次。話を引き出せるものであればよい。」つまり、提供者のその時のセンスを味わうということになるのだろうか。

 

 


 

さて、この日の話のサカナになったのは、壁に掲げられた1幅の掛け軸でした。京都女子大学創設者の夫、甲斐虎山の作品で、上半分には墨で書かれた漢文が、下半分には淡い色調で川沿いに立つちいさな建物とそこへ続く橋という風景が描かれていました。

 

まずは「字解き」。くずした墨文字のほとんどが解読不能です。前﨑センセイのリードで。参加者それぞれが自分の推理を、ああだろうこうだろうと口にしながら熱中すること十数分。読める文字が増え、少しずつ文の意味がわかってくると、明るい声があがるようになりました。やっと3割ほど解明できたところでお手上げ、佃さんの登場となりました。

木々、川の流れは青く 埃のない清らかな様
ツバメがやって来るのが見えました。
昼下がり、ふと目が覚めると
山の爽やかな空気が感じられました。
盤に葡萄を満たせて、山桃をあなたに
だそうとしています(漢詩より)

佃さんに字と文(漢詩)を解読してもらい、詩の内容を会得した後、あらためて絵を観賞してみると―、ツバメや葡萄、山桃が虎山の絵からイメージできるのです。初夏にやってきて子育てをするツバメと果物の組み合わせは、種を運ぶ=子孫繁栄を表しますが、これをどう読み解くか。最初の印象とはかなり違ってみえたり、作者の“幻想”がわかるような気がしたり。「この絵、美術館に掛かっていたら素通りするだろうが、こうして想像しながらみていると、おもしろい」という共通の“発見”にみな沸きました。

 


「答えはない。自由に想像し、自由に発言する」そのたのしい時間が茶事なのです。ワイワイガヤガヤの間、ころよいタイミングで3度提供されたお茶のそれぞれ異なる味もたのしみながら、引き続き茶懐石へと続き、今回も熱い4時間が過ぎました。

茶時の間に、前橋センセイが話してくださった参考談より――

◎字解き・詩解き
 漢詩の最後の行は、作者の名前であることが多い。今回の詩においては、全詩の文字数から名前の文字を省くと、文字数は28なので、七言絶句であると推測できる。それゆえ、7文字ずつ区切って解読してみるとわかりやすい。

◎今回の絵の作者
 京都女子大学創設者の夫である甲斐虎山(1867-1961)。大分県出身。自分の絵を売ることで、妻・甲斐和里子の女学校創設事業を支援した。左右にかつて寓居した文人画家・田能村直入(1814-1907)やその父である田能村竹田(1777-1835)らも大分県出身。

◎磁器(今回の茶杯は磁器であった)
 中国では宋の時代、日本では1600年前半から磁器の製作が始まる。原料は石英やカオリンなどの鉱物でいわば人工的に作った白い石。ヨーロッパでは骨灰(ボーンチャイナ)などが添加されたりする。釉薬にも鉱物を使うが、色の違いは使われている鉱物の種類による。

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